標津線厚床支線 奥行臼駅跡 序
探訪日:2019年5月3日
北海道は廃線が非常に多いのが特徴的だ。札幌を始めとする都市部への人口集中による過疎化や炭鉱の閉山によって多くの鉄道路線が1960~80年代にかけて役目を失った。
今回取り上げるのは、日本最東端の街根室市から伸びていた標津線厚床支線の奥行臼駅跡である。
標津線は釧網本線の標茶から中標津を経由して根室標津に至る路線と中標津から厚床に至る厚床支線が存在した。旧国鉄時代から慢性的な赤字を抱えており、分割民営化でJR北海道が発足した直後の1989年4月に全線廃止となった。
自分がこの駅の存在を知ったきっかけは、物心ついた頃から自宅にあった日本廃線鉄道紀行という著書である。
文字通り日本全国の廃線跡を取り上げているのだが、中でも北海道の回で出てきた士幌線のタウシュベツ川橋梁とこの奥行臼駅に惹かれた。学生時代に親しかった乗り鉄の教師が若い頃に標津線跡をドライブして探索したという話を聞いてから更に関心が高まり、一度行ってみたいと目星を付けていた。
しかし場所が場所なだけに初めて渡道した時は断念せざるを得ず、著書の刊行から15年が経過した2019年に今まで非公開だった奥行臼駅の駅舎内が一般公開されるという情報を知り今回の訪問と相成った訳である。
元号が変わって間もない5月3日のお昼過ぎ、たった一両の根室行き快速に揺られ厚床駅に降り立った。
標津線厚床支線はこの厚床駅が始発駅だった。向こう側のホームから中標津方面への列車が発着していたらしいが、数年前交換設備が廃止され現在は手前側のホームしか使われていない。駅の南側は原野が延々と広がるのみだ。
厚床駅の駅舎と駅前風景。一日の乗車人員はわずか10人程度らしい。
厚床駅は20年以上前に無人駅となった。現在の駅舎は厚床支線廃止後に建て替えられたらしく周辺の駅より少し新しめな印象を持っていたがトイレが垂れ流し式で衝撃を受けた。
駅ノートを発見。まさにその通りである…。
奥行臼駅跡へは根室交通のバスで向かう。少々分かり辛いが中標津線と中標津空港線の2路線がかつての厚床支線の全区間をほぼ並行して走っているらしい。奥行臼駅跡の最寄りは奥行バス停だ。
まずは土曜休日わずか2便しか走らない中標津線に乗車する。バスに乗車する直前に運転手から行き先を尋ねられた。乗客は自分一人しかいない。
バスが厚床駅を出発して間もなく車窓一面が原野に支配された。Windowsの壁紙の中にぶち込まれたような気分である。
延々とこれ。
田舎にも程がある!
約10km程だだっ広い原野を走り抜けたのち奥行バス停に到着した。乗客0人となったバスは空気を運びながら中標津に向けて静かに去って行った。
根室交通の奥行バス停であるが、現地では普通に"奥行臼"と表記されてあった。ちなみに地名は野付郡別海町奥行らしい。何故駅名だけ"臼"が付いたのだろうか…
中標津方のバス停に待合室があった。場所的にはここが厚床支線の廃線跡らしいのだが…
!?
なんと待合室の真後ろから線路が続いていた。この線路の先に奥行臼駅跡があるのか…?
次回へ続く