標津線厚床支線 奥行臼駅跡 前編
前回
厚床駅からバスで奥行停留所に辿り着いた。奥行臼駅跡が間近に迫る中でこの線路を発見した訳であるが…
その前に中標津方面の廃線跡を少しだけ確認する事にした。こちら側は旧標津線跡フットパスとして整備されているようだが…
ご覧の通り荒れ放題。草が生い茂る夏場は更に歩行困難な状態になっているかもしれない…。
気を取り直して奥行臼駅方面へ向かう。
本当は線路跡を歩きたかったのだが、目線の向こう側に人影(写真撮ってる同業者)が見えたので渋々道路側から回って駅跡に向かう事にした…
道を歩く事3分…
見えてきた。
ようやく奥行臼駅跡に到着した。現役当時から残る味わい深い木造駅舎が健在だ。
入館料は無料。内部公開が始まったのは探訪日の2日前(5月1日)である。
こちらが駅舎内。想像以上に往時の面影をしっかり留めていた。窓口の上に掲げてある"奥行臼駅"のプレートがたまらない。
国鉄時代の物と思われる普通旅客運賃表が掲げられていた。この駅ではなく泉川駅*1で使われていた物らしい。この中で最も高い運賃は函館の5300円だが、2020年現在は函館~釧路間の片道運賃だけでも9900円かかる。
SLが走ってた頃の写真。
その他の展示物もろもろ。
駅舎内のベンチ。別海村と黄色い字で書かれているが、町制施行が1971年なのでそれ以前からここに置かれているのかもしれない。
窓口の出っ張りに置かれた駅ノートらしき物。現役時代に訪れた人の記述もあった。
こちらは駅務室の内部であるが、残念な事に今回は非公開だった。見るからに気になる物が多数置かれているのだが…
まずは1961年のカレンダー。左の伝令者というのは有人駅だった頃に使われていた物だろうか。
窓際には古いラジオに乗っかるSLのオブジェ。その後ろにあるのは黒電話?
それ以外に置かれていた物。(金庫、台秤、地球儀、漫画etc…) これらは町の所有なのだろうか?いつ誰が持ち込んだのか?真相は謎に包まれる…
一通り駅舎内を見学したのでそろそろホーム側へ。
おぉ…
やはりヤバい(再確認)
中編へ続く